田名氏館

田名氏は武蔵七党の一つ横山党の庶流で、横山時広の次男・広季が田名二郎兵衛を名乗ったことに始まる。

建暦三年(1213)五月の和田合戦で討ち死にした。『吾妻鏡』に「たなの兵衛、たなの太郎」が討ち死にした人物として登場しており、それは広季と子・時季に当たるという(『日本城郭大系』)。

現在の相模原市は、相模川に侵食され、上中下段に分かれた地形をしているが、その下段一帯を田名と呼んでいる。田名地区の「堀之内」という地名は広くに亘り、広大な居館を構えていたものと思われる。居館の場所は正確には特定できないが、田名小学校から南側を跡地と云い、「でえの坂」という居館への訪問道とされる坂道と、水の手と伝承される池が残っている。池は公園になっており、土塁とも思われる地形を認める。また、県道48号「田名小交差点」脇には説明看板が立っている。

 

 (【左写真】居館参道跡 【右写真】水の手)

 

 (【左写真】土塁跡? 【右写真】堀之内地区)

 

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