矢部氏館

現在の相模原市矢部はかつて矢部氏が支配していた土地と伝えられ、その居館の遺構と思われる土塁が残っている。

矢部氏は、鎌倉時代の武蔵七党の一つ横山党の一流で、当主は矢部義兼だったという。義兼は建暦三年(1213年)五月の和田合戦に参加し、他の横山党の一族とともに討死した。しかし矢部氏は滅亡しなかったようで、応永二十三年(1416)の上杉禅秀の乱でも矢部伊代守・三郎という武士が参戦している(『日本城郭大系』)。

JR横浜線・矢部駅から北側、町田街道方向に進んだ「上矢部」交差点脇に土塁が残存しており、簡単な説明看板が設置されている。

 

 (【左写真】土塁跡 【右写真】現地説明板)

 (土塁上から見た推定居館地)

 

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