若宮城

芋川城とも。標高690m、比高90m。

この地の豪族・芋川氏の本拠城。芋川氏の領域は野尻湖、豊田村にまで及び、若宮城は戦略的に重要な位置にある。

応永十一年(1404)に高梨氏が幕府に叛いた際に、細川兵庫助が討伐に向かい、高梨氏に従属していた芋川氏の若宮城は落ち、当主・長知は自害し、一時芋川氏は断絶したという(『芋川氏累世譜録』『市河文書』)。その後、川中島の合戦では永禄四年(1561)に野尻城を武田氏が手中に治めており、すでに若宮城とその支城である鼻見城も武田氏の傘下に入っていたものとされる。

遺構は中世山城の様相を呈しており、主郭を中心に、大手道とされる西側斜面には複数の小削平地を配し、埋もれてはいるが空堀を置いている。主郭部は急斜面になっており、搦め手には三重の大規模な堀切が確認でき圧巻である。

城址へは、芋川地区若宮集落の通称城山の頂上にあり、県道60号沿いに案内板があって迷わず登山できる。登山は15分程度だが、急勾配のところもあり楽ではない。

 

  (【左写真】主郭で面積はさほどでない 【右写真】朽ちかけの城址碑)

 

  (【左写真】搦め手三重堀切を主郭から見下ろす 【右写真】大手より主郭を見上げる)

 

  (【左写真】山中には複数の小郭が見られる 【右写真】城山遠望)

(信濃史学会編 信毎書籍出版センター刊『信州の山城』より)

 

 

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