大丸城

標高73m、比高40m。『新編武蔵国風土記稿』には「塁跡あり、土人これを城山と呼ぶ。山上に堀の跡と思しきところあり。物見などせし所なるべし、中腹には何人の居住せしと云こと伝えず」と記されている。

南武線南多摩駅の南側約300mの丘陵先端部にあった遺跡で、多摩ニュータウンの造成工事に伴い、昭和55年から61年にかけて発掘調査が行われた。縄文時代から江戸時代に及ぶ大規模な複合遺跡と云われ、奈良時代の瓦窯跡群が15基発見された。

中世の時代には東側に集中して経塚・墓跡・板碑群がつくられ、中央部には見張り台として大丸城が築かれた。城郭跡からは丘陵頂部の主郭、その周囲をめぐる空堀と土塁状の腰曲輪が確認され、主郭には小建物跡と柵列跡があったという。

ただ、城に関する史料は皆無で、事実のところは不明である。その遺跡もニュータウン造成で、山ごと姿を消してしまった。南隣に城山公園があり、わずかに往時のよすがを偲ばせる。こちらには、それらしい地形はあるものの、遺構なのかは不明。

 

(【左写真】城山公園の頂上部。物見に使われたか? 【右写真】城山公園遠望)

 

(【左写真】六の丸?? 【右写真】七の丸??)

 

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