長沼城

亀山城とも。鎌倉時代に土豪・長沼宗政とその一族が築城した。

文政6年(1823)に記された『武蔵名勝図会』には「往昔長沼二郎大夫職任という武蔵七党の内の西の党よリ出たる人、当所に住す。村内報恩寺の境内は長沼氏の子孫の住したる屋敷跡なり。城地といふにあらず」と記している。また『新編武蔵国風土記稿』は「宝恩院境内を城山と号す、昔長太郎という人物の居住する所という、されどその時を伝えず、長沼五郎宗政の一族か」と記している。

常楽寺から京王線稲城駅をはさんで三沢川に至る場所は、両書の著している「報恩寺」「宝恩院」のあった台地状の小丘陵・亀山が存在していたが、昭和38年頃に造成されて平坦地と化し、現在は三沢川を渡す亀山橋にその地名を残すだけで、全てが消滅してしまった。

 

(【左写真】亀山橋脇にある城址碑 【右写真】三沢川付近。マンション側に亀山があった。

 

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