葛西城

葛西御殿、葛西離宮とも。

葛西城(東京都葛飾区青戸7丁目)は、室町時代初期に関東管領上杉氏がこの地に築いたもので、 大石石見守がこの城を守備した。しかし天文年間(1532-1554)小田原北条氏が攻め落とし、家臣・遠山氏に在城を命じた。

その後、天正18年(1590)小田原北条氏の滅亡により荒廃していたが、幕府徳川氏により「青戸御殿」として修理再興され、将軍お鷹狩りの折、その休憩所として使用された。延宝6年(1678)に御殿払い下げのお触れが出されており、 この時期に取り壊された。

それ以降、再興されることなく、現在は城内を環状7号線が通り、わずかな石碑や説明看板を除いて、ここが城址であることを窺がわせるものはない。
城址は環状七号線で分離され、なおかつ住宅地と化し、城址説明板はあるものの、何らの遺構も残っていない。昭和47年から開始された発掘調査では多くの貴重な遺構と出土品があったというから、その破壊は残念であるが、この都心では止むを得ないのかも知れない。

(城址地図)

 

(航空写真と現地縄張図)

(現地説明板)

 

(【左写真】城址公園になっているが遺構は皆無。【右写真】城址を貫く環七。2004年12月25日撮影。)

(2008年4月12日撮影の城址)

 

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