練馬城

豊島城、矢の山城とも。標高40.5m、比高8.5mの平山城であった。

石神井城と兄弟城で、石神井城主豊島泰景の弟景村が元弘年間(1331〜1334)に築城したといわれる。しかし、景村以後は定まった城主を置かずに、城代が代々引き継いだらしく、史料には名前が出てこず、その歴史は詳らかではない。

練馬城の落城譚はいくつかの説があるものの、一般的には、文明八年(1476)、山内上杉の家宰長尾家の相続争いから長尾景春の乱となり、景春に味方した豊島氏の練馬城は、鎮圧軍の大田道灌に攻められて、石神井城と共に陥落したといいわれている。その時、豊島の姫が背後の石神井川に入水したと言う伝説があって、そこは「嬢が淵」と呼ばれていたようである。

現在、城址は「としまえん」として遊園地に変貌している。園内にはその欠片も見出せないが、南側の外縁、区立向山庭園(同3−1)との間に城の堀割の跡などをしのぶことができるという(『練馬区資料』)。

 

(「としまえん」のすぐ脇を流れる石神井川で嬢が淵伝説がある。)

 

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