内小屋城

標高730m、比高35m。歴史的なことは不明であるが、その立地条件から真田氏が本城を築くまでの本拠でないかと思われる。

上田から真田地方に侵入した正面の山麓に位置し、長野・松代に抜ける地蔵街道、嬬恋や須坂に抜ける上州街道の交錯する要害の地である。また、真田諸城の中心地でもある。

ただ、縄張り、遺構は簡易なもので、築城は武田氏によって追われた横尾氏であると思われる。
巷説では
、横尾采女の築城で、屋敷地だったとの伝承もある。その後、この地を拝領した真田氏が内小屋城を改修したのかは不明だが、城域に信綱寺を建立し、長篠・設楽が原の合戦で戦死した真田昌幸の兄・信綱の菩提を弔ったという重視ぶりを鑑みると、戦国真田氏もこの城を利用し、由緒深き場所だと考えていたのであろう。

城址へは信綱寺からでも古城緑地公園からでも近い。信綱寺の黒門周辺は城址で、2の郭、3の郭は墓地になっており、本郭も広くはない。本郭北側には堀切の跡も見られるが明確とは言えない。

 

(【左写真】信綱寺黒門で城域 【右写真】本郭堀切はほとんど埋もれている)

 

(【左写真】本郭 【右写真】二の郭)

 

(【左写真】三の郭から二の郭を見る 【右写真】城址遠望。城址のすぐ裏は信綱寺。)

(自作縄張り図)

真田氏諸城配置図

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