山中城

荻野山中藩陣屋、山中御役所とも。天明三年(1783)創建。

小田原藩大久保氏の五代目大久保加賀守の二男・教寛を藩祖とする萩野山中藩の陣屋。彼は明暦三年(1657)生まれで、将軍徳川綱吉、家宣、吉宗に仕えた大名。もともと陣屋は駿河国松永村にあったが、天明三年(1783)に当地に移されたという(『日本城郭大系』)。

ここが選地された理由は、便利の良い場所、谷水の利用地を避け、水害や山崩れの心配が無く、常時生活水を確保できるからであった(『三浦彦七文書』)。

陣屋は拡張、増築などを経て三代八十三年存続したが、慶応三年(1867)浪士隊の襲撃で消失し、明治維新後は萩野山中県庁として利用されたものの、同四年、県知事大久保敬義の東京移住と共に廃城となった(『日本城郭大系』)。

跡地は陣屋跡公園となって石碑などが整備されているが、遺構は見当たらない。

現地説明板

 

(【左写真】城址石碑 【右写真】陣屋跡の祠もみられる。)

(跡地周辺)

 

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