泉小次郎親衡館とも。比高20m。 泉小次郎親衡(ちかひら)は、信濃国の住人で、源氏の子孫と伝えられ、一族の多くは北信(長野市・飯山市付近)に住んでいたといわれる(『日本城郭大系』)。 建保元年(1213)二月、泉親衡はその一族と共に、源頼朝の遺児を擁し、執権・北条義時を倒そうと計画したが、裏切る者が出て未遂に終わり、彼は逐電した(『北条九代記』)。 泉親衡の屋敷跡と伝えられる場所は、中和田小学校の南側で、和泉川が東西に分かれて流れる間に挟まれた台地の上で、字桜川と呼ばれる付近とされる(『中和田郷土誌』『日本城郭大系』)。 『日本城郭大系』には遺構は無いと記されているが、現地は「泉中央公園」となって整備され、一部に空堀と土塁の残片が残っている。 |
(跡地付近の航空撮影写真)
(現地案内板)
(【左写真】跡地である「泉中央公園」。【右写真】空堀と土塁状の遺構。二重空堀だったのかも知れない。)
(【左写真】空堀は比較的良く残存している。【右写真】他にも土塁のような地形が見られる。)
(【左写真】公園下の「泉小次郎馬洗い池」。【右写真】泉氏の道場という「長福寺」。)
(城の守護神として祀られた「須賀神社」。)
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