高安寺館

足利陣所とも。

高安寺(東京都府中市片町2丁目)は、天慶三年(940)俵藤秀郷がその館跡に建立したものとされる(『新編武蔵国風土記稿』)。

後に、足利尊氏が中興の祖となって復興し、往時は塔頭10院、末寺75寺を数える大伽藍で寺域は4里四方に及んだという(『日本城郭大系』)。

居館跡が、戦乱にともなって要害化し、東・西・南に堀を設けた城砦になったとされ、正慶二年(1333)新田義貞はここを拠点に鎌倉北条氏と戦ったと伝わる。室町時代、鎌倉公方足利氏は出陣の際は必ずここに本陣を置いたという。戦国時代には、その位置的重要性から公方・上杉氏・後北条氏など、関東における中心勢力の利用するところとなったとみられている(『日本城郭大系』)。

城址は、多摩川河岸段丘の端にあり、南武線は往古の水堀を埋めたものとされ、また岸縁には土塁が設けられていたものとされる(『多摩の古城址』)。現在では、遺構は壊滅し、地形の名残りが僅かに垣間見られるだけとなっている。

(参考サイト:城郭図鑑

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(現在の航空写真)

(現地説明板)

 

(【左写真】高安寺 【右写真】土塁と推定される場所。奥は崖状になっており堀跡とされる。)

 

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