三田城

標高68m、比高8m。三田氏館、谷保の城山とも。

三田城(東京都国立市谷保)は、都指定史跡であり、遺構が良好に残された平山城である。

その歴史はよく分かっておらず、菅原道武の臣の旧館との説がある(『江戸名所図会』)ものの、城主不明とする説も有力である(『新編武蔵国風土記稿』)。
また、仁治四年(
1243)歿した鎌倉三代将軍の家臣・津戸三郎為守を城主として、存立時代を13世紀前半とするものもある(小室栄一『中世城郭の研究』、小幡晋『多摩の古城址』)。

遺構は良好に保存されており、三田家の邸宅である台地先端部に空堀で区画された郭がある。その中には櫓跡のような高台も見られ、土塁・虎口の痕跡が窺える。その東側に大規模な空堀を配し、さらに一郭を置いている。

「このようにほぼ完全な形で現在保存されていることは、貴重な文化財といってもよい」(『日本城郭大系』)。民家に隣接していることから、訪問には配慮を要する。

(参考サイト:城郭図鑑

(現在の航空写真)

(現地案内図)

(現地説明板)

 

(【左写真】一の郭。民家なのでここから入ってはならない。裏手に回る。【右写真】一の郭の土塁。)

 

(【左写真】土壇状の地形も見られる。【右写真】一の郭の祠。高台になっており櫓の跡か。)

 

(【左写真】一の郭の窪地。井戸跡かも知れない。)
(【右写真】一の郭虎口。単純な造りだが良好に残る。二の郭と木橋で繋がっていたのかも知れない。)

 

(【左写真】写真では分かりにくいが、一の郭は明瞭な空堀で区画されている。【右写真】一の郭と二の郭間の空堀。)

 

(【左写真】二の郭。削平は良好にされている。【右写真】僅かに残る二の郭の土塁。)

(二の郭の遠望。はっきりと普請された郭であることが分かる。)

 

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