式部城

標高805m、比高80m。

式部城(長野県望月町大字布施字式部〔佐久市布施〕)は、布施川の谷筋へ、その支流・小諸沢が合流するところの山尾根の末端部を使って築かれている(『図解 山城探訪』)。

その歴史は不明。「式部」と呼ばれた人物が居館を持ち、背後に要害城を築いたと伝わるが、この者が大井氏系か布施氏系かは分からない(『図解 山城探訪』)。『長野県の中世城館跡−分布調査報告書』では、大井氏重臣・阿江木氏(相木氏)を城主と推定している。

城址のある山は、山腹から削平地が連続しているが、全山耕作されたらしく、遺構との区別は難しい。
しかし、山頂の平場(主郭)を中心とした遺構は非常に良く保存されている。特に主郭背後の尾根筋は大規模な四重堀切で完全に断ち切っている。この堀切は途中で合流し、竪堀となって下っている。
主郭の北側にもいくつかの削平地が認められ、これらは中世城郭の遺構に相違ない。ただ、その下方にも削平地があり、大きな切岸で作られた見事なものだが、この辺りは後年の耕作地なのかも知れない。
とはいえ、全体的に加工度も高く、戦国時代に使用されたものであろう。満足できる遺構である。

城址へは、山の北東の麓に、墓地へ通じる山道があり、そこからさらに登ればすぐに段郭に辿り着くことができる。登山は10分ほど。

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図と長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』掲載の概念図

 

(【左写真】城址に祀られている小祠。【右写真】主郭。基本的には単郭なのだろう。)

 

(【左写真】主郭。奥に土塁が見える。【右写真】主郭土塁。この背後は険しい堀切になっている。)

 

(主郭背後の一条目の堀切。今でも昇り降りが困難なほど良好に残る。)

 

(【左写真】さらに三条の堀切で搦め手を防御している。【右写真】四条目の堀切とその先の尾根道。)

 

(【左写真】主郭大手の腰曲輪。この辺りは遺構だろう。【右写真】一部石積みの痕跡も見られる。)

 

(大手をさらに降っていくと複数の削平地がある。しかし、この辺りは近年の耕作地のようだ。)

 

(登山道入り口と城址遠望)

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