日向城

長坂城とも。標高808m、比高50m。

日向城(長野県佐久市根岸字長坂)は、日向(ひなた)集落に面した山尾根の突端に位置し、麓に中沢川が流れている。虚空蔵山狼煙台の奥に位置する。

城の歴史は分かっていないが、伝説として、武田氏重臣・長坂釣閑斎光堅の居城といい、その子・源五郎も番衆として在城したとされる(『南佐久郡誌』『南佐久郡古城址調査』)。

一説によれば、永禄二年(1559)八月四日に歿した武田信近(信虎の子)が城代で、飯富兵部が後詰として入ったという。信近死後は、その子・兵庫が継いただものの、寛永元年(1624)十二月、長右衛門の代に屋敷が全焼してしまい、一族は所払いになったという(『定本 佐久の城』)。

城址は、素晴らしい遺構を残している。

八幡社の祀られる主郭を中心に、東側には二郭があり、さらに山麓まで段曲輪が連続している。中腹の曲輪は「馬場」と呼ばれている。
主郭の西側に土塁を設け、その背後は大規模な堀切を複数配している。大小10条近くの堀切があり、その中には小曲輪を設置して防御拠点とし、堀切が竪堀となって下ってゆく。ここにも山麓まで段曲輪が見られ、その厳重な縄張りは圧巻である。

これだけ大規模な普請となると、もともと土豪の要害だったものを武田氏が改修した可能性は否定はできない(その立地に疑問が残るが)。

なお、付近で古銭3,000枚、石臼・土器などが発掘されたという(『定本 佐久の城』『長野県の中世城館跡−分布調査報告書』)。

登山道は、館があったとされる山北東の「下長坂」から大手道が走っており、10分も登れば主郭へ到着できる。

(参考サイト:信玄を捜す旅 近江の城郭 飛騨の山猿大王

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』掲載の概念図

 

(【左写真】主郭。城代だった武田一族が祀る八幡社・稲荷社。【右写真】主郭背後の高い土塁。遺構だろう。)

 

(【左写真】主郭下の二の郭。帯状の造り。なかなか規模は大きい。【右写真】二の郭から主郭を見上げる。)

 

(【左写真】さらに大手には段郭が続く。この付近は「馬場」という。【右写真】主郭から搦め手を見る。複数の堀切。)

 

(搦め手の堀切は良好に残っており、複数かつ大規模で、かなり入念な防御設備。)

 

(【左写真】堀切のひとつ。今でも上り下りに苦労する。【右写真】堀切は竪堀となって山麓まで続いている。)

 

(【左写真】登山道入り口。写真では藪だが、八幡社への道で、細いものの主郭まで続く。【右写真】城址からの眺望。)

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