高野城

標高757m、比高14m。鷹野城とも。

高野城(長野県南佐久郡佐久穂町大字高野町)は福田城の東2キロに位置し、北沢川に面した丘陵の上にあったと推定される。北側は川によって浸食され、急崖となって要害の地形を作っている。

この城に関する史料は無く、歴史は不明。

当地の鷹野六助(高野六助)が居住し、後に三枝昌吉が守ったとされるが、はっきりした事は分からない(『図解 山城探訪』『日本城郭全集5』『定本 佐久の城』)。
この三枝昌吉は、徳川家康に従い、相木城を攻めている。

城址は、遺構は見られず、正確な城域も不明である。付近の「城の後橋」「城前」「城の腰」「城影」などの地名から、城館があったのは間違いない。

北沢川に面した配水池や諏訪神社などの平場がそれらしい候補とされ、「城址の回りは現在水田であるが、昔は湿地帯で、攻める者にとっては厄介であったろう。これといった遺跡はない。」(『日本城郭全集5』)

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図と城址の航空写真

(城址。遺構らしきものは確認できない。)

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