穴山氏館

戦国時代の穴山氏の当主は穴山梅雪(信君)で、ここ穴山町に勢力を誇った。母は武田信玄の姉で、自身は信玄の娘を夫人とした武田氏の一門。永禄十一年(1568)武田信玄が今川氏を滅亡させると、江尻城を築いて梅雪に守らせた。武田勝頼の代になり長篠・設楽ヶ原で敗戦すると、梅雪は新府城の築城を提言し容れられる。しかし、武田氏劣勢が進むと織田氏、徳川氏に内応し、江尻城を引き渡す。武田氏滅亡後、黄金二千枚を信長に献じ、天正十年(1582)安土城に赴き信長に拝謁する。彼らは京都へ登り、家康と梅雪は大阪・堺を回遊している最中、信長が本能寺で横死すると、梅雪は直ちに帰国を目指したが、山城国・宇治で土民によって殺害された。

穴山梅雪は小山田信茂とともに、武田氏を裏切った悪役として描かれてきたが、武田氏を三分するほどの有力国衆であり、それぞれ一家を守るために懸命に生き抜こうとした武将である。

JR中央本線穴山駅に案内板があるものの、明確な遺構は期待できない。能見城に近く、周辺には穴山氏の菩提寺・満福寺などがある。

 

(【左写真】遠望 【右写真】穴山氏菩提寺・満福寺

 

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