大矢部城

平安時代末期の築城。この城の主は、朝比奈義秀とも三浦義澄ともいう。

衣笠城を中心とする城塞群の内部にあり、東方1.5kmに位置する重要な支城で、この城を無視して衣笠城に攻め込んだ場合、背後から挟撃を受ける位置取りにある。歴史面は詳らかではないが、宝治元年(1247)衣笠城とともに廃城になったのであろう。なお、第二次大戦後、米軍が周辺に駐屯したことから遺構の調査も詳しくなされていないという(『三浦半島城郭史』『日本城郭大系』)。

城址は大矢部地区の市営公園墓地内にある丘陵に位置し、園内に登山道がある。削平地や腰曲輪らしき地形はあるものの、何も知らなければここが城址とは気付かないレベル。

 

 (【左写真】頂上部。細長い平場で、遺構かは不明。【右写真】頂上部から切岸を5m下ると比較的広い副郭がある。)

  

 (【左写真】頂上部には腰曲輪らしき地形もある。【右写真】市営墓地公園入口から見た城址遠望。)

 

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