愛宕山塁

標高50m、比高8m。石神井城の北方約500mの城山と呼ばれた地は、太田道灌が築城した対石神井城の付け城で、軍卒を置いた場所という(『新編武蔵国風土記稿』)。

長尾景春の乱の文明9年(1477)頃に築かれたものであろうが、現在、早稲田高等学院になって遺構は全く見受けられない。『日本城郭大系』によれば、近くに道灌堤と呼ばれる堤防があり、江戸へ通じる近道であったという。

早稲田高等学院

 

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