守山城

 室町幕府の時の将軍・足利義政の実弟・政知の築城と思われる。山麓には掘越御所があって、その詰め城とされていた。標高は100メートルほどだが、切り立った崖に囲まれなかなか堅固である。しかし山頂にもほとんど平地はなく、緊急時の退避場所でしかなかったのだろう。

北条氏は茶々丸が堀越御所を継承してから乱行を繰り返し、混乱の中を1491年に伊勢新九郎長氏(北条早雲)によって攻められる。茶々丸はこの守山城に籠もって抵抗したが、力尽きて下山、山麓の願成就院で自刃して果てたといわれる。未だ元服すらしていない歳であったというから、彼自身の責任とは言えまい。

『日本城郭大系』は、後北条氏が韮山城を本拠とした後、西海岸の長浜城との中間の城としてある程度の防備を施した可能性を示唆するが、現在はほとんど遺構も残っていない。

  

  (【左写真】登山道入口。非常に整備されて登りやすい。 【右写真】頂上部。非常に狭い。)

 

  (【左写真】本郭と二の郭間にある堀切址。唯一の遺構か。 【右写真】本郭から韮山を見下ろす。すぐ下に堀越御所があった。)

 

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