矢沢城

標高650m、比高50m。矢沢城は真田幸隆の弟、矢沢綱頼の居城で、伊勢崎城の対に位置し、神川左岸の重要な城。

綱頼は、諏訪神氏ゆかりの矢沢家を継承し、真田幸隆の三男・真田昌幸が上田を領した後はその重臣として活躍した。昌幸の子・信繁(幸村)が越後春日山城の上杉景勝に仕えた時は綱頼の子・三十郎頼定が真田氏に従属している。

天正十三年(1585)第一次上田の合戦では頼定が800の兵で矢沢城を守り、敵方・依田源七郎ら1500の軍勢を退けたという。その後、矢沢氏は真田信之に従って松代へ移り、矢沢城は仙石政勝の主城となった。

城址は矢沢公園として整備されている。ただ、公園化によって改変された感は否めない。それでも真田氏時代の遺構と思われる堀切、石積みが散見され、北側は沢の渓谷をなして要害の地形を留めている。県道175号線の殿城郵便局を北側に進むと矢沢城の案内板が見られ、車で矢沢公園の麓まで行ける。

 

 (【左写真】主郭 【右写真】主郭裏の大堀切)

  

 (【左写真】大堀切の石積み 【右写真】真田氏時代の石積みが所々ある)

 

 (【左写真】段郭と石積み 【右写真】城址遠望)

(天白城からの眺望)

真田氏諸城配置図

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