替佐城

標高455m、比高120m。永禄七年(1564)頃、武田信玄によって築かれたと推定されている。

北信濃の制圧をめざす武田勢とその防御をかはる上杉勢が川中島平で激しく争った当時、武田方の前進基地として重要な役割を果たした。この城は上杉方の拠点飯山城へ通じる谷街道(千曲川通り)を東岸から押さえる壁田城と共に西側から押さえるもので、また、北永江方面を経て上杉方の国境野尻城へも備えていた。三つの曲輪(本丸,二の丸,三の丸)と、それを取りまく幾つかの帯曲輪,腰曲輪や堀切から成る(『現地説明板』)。

遺構の保存状況はよく、規模の大きい中世山城であったことが分かる。

周辺は城址公園となって整備されているが、その公園への行き方が非常に分かりにくいのが難点。国道117号「温泉公園入口」交差点を曲がり、温泉公園を50mほど行き過ぎ右に大きく曲がる側道に入り、上信越の陸橋を過ぎると分岐しているので左に、さらに分岐しているので右に進むとほどなく城址公園。

  (信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センターの縄張図)

 

  (【左写真】主郭で面積も広い 【右写真】主郭から二の郭、三の郭を見下ろす)

 

  (【左写真】主郭・二の郭間の大堀切 【右写真】主郭西側の大規模な竪堀跡)

 

  (【左写真】遠望で中央のピークが城址 【右写真】現地説明板)

 

 

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