藤間豊後守屋敷

標高25m、比高2m。戦国時代・藤間豊後守の建造。

藤間豊後守は後北条氏の家臣と思われるが、その詳細は不明。一説に成田氏長の属将として小田原戦役では小田原城に籠城したとされる(『新編相模国風土記稿』)。

金目観音で有名な光明寺の北側150mに位置し、昭和までは字の土塁と弁天池が残存していたという(『日本城郭大系』)。現在ではほとんど住宅地と化して、祠と土塁の一部が垣間見られるに過ぎない。

金目川沿い県道62号の「金目駅」バス停付近を北側に入って法伝寺のすぐ西側が跡地。住宅の一角に祠がひっそりと佇んでいる。

 

 (【左写真】寂しく佇む祠。【右写真】祠の周辺には土塁の一部が残る。)

 (弁天池があったとされる場所。)

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