真芳寺砦

大上山真芳寺境内から北方八幡原にかけては、相模川の自然堤防の最も狭ばまった箇所で、ここを通過する軍勢をはばむ要衝の地だった。真芳寺開山・仁忠良義禅師は、後北条氏の支族ともいい(『新編相模国風土記稿』)、本家庇護のもと、この要所に寺を建立し、周囲に空堀・水濠・土塁などを配して要害化し、小田原城防衛の一拠点とした。

かつて寺の山門は、不開門(あかずのもん)と呼ばれ、公事以外は絶対に開けなかった。伝説によると、庶民はもとより、賊徒の襲撃から避難してきた徳川家康を保護する一方、門を固く閉ざして賊は寺内に入れなかったとされ、寺の格式と要害ぶりを物語っている(『現地説明板』)

平塚市大字大神の真芳寺がかつて寺院を要害化した城砦の跡地。説明板では遺構も残るとしているが、周囲を見て回ったがそれらしいものの発見には至らず。

 

 (真芳寺の山門脇には説明板と石碑が設置されている。)

 

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