山角次郎右衛門勝長屋敷

山角氏の屋敷は、厚木市酒井村の中程、法雲寺の西に在って、頓原(殿原)がその遺名であるが、江戸時代末期には既に遺構は失われていた(『新編相模国風土記稿』)。

山角氏は代々後北条氏の重臣で、戦国末期は山角定勝が家主だった。彼は小田原城落城後、北条氏直に従って高野山に赴き、氏直歿後、井伊直政を通じて徳川家康に召し出され相模国で千二百国を受け、ここ酒井に屋敷を建築した。その後慶長八年(1603)五月に85歳で歿している。法雲寺は定勝の開基・菩提寺で、その曾孫にあたる勝長が伽藍を整備して寺を中興した(『日本城郭大系』『法雲寺説明板』)。

屋敷跡とされる頓原は、県道604号(愛甲石田停車場酒井線)の玉川に架かる「新宿橋」の南西一帯をさす。現在は工場などが立ち並び何ら面影はない。

 

 (【左写真】屋敷跡地だが遺構は皆無。【右写真】法雲寺の山角氏代々の墓石。)

 

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送