中土合城

海老名市杉久保中土合には「城山」と呼ばれる丘陵がある。

詳細は不明だが、一説には大貫氏の持ち城とされる。大貫氏は室町時代、応永二十三年(1416)上杉禅秀の乱で戦功をあげて将軍家に仕え、永享十二年(1440)結城合戦で当主・義幹が戦死すると、その子・義兼は相模国に拝領を受けた。彼は一旦領地を没収されたが、文明六年(1474)に許されて相模に蟄居し、延徳三年(1491)に本地で六十四歳にて歿している。その末裔は後北条氏に仕えて戸田堀ノ内に住んだという(『大貫系図』『日本城郭大系』)。

城山は東名高速道路の建設のため採土され、山そのものが削り消えている。一部残る場所も畑となって遺構は無いようである。

東名道の海老名SAのすぐ近くで、「城山」バス停付近から左手に見える丘が跡地。

 

 (【左写真】残った部分も畑に化した。【右写真】城山遠望)

 

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