高木清秀屋敷

神奈川県海老名市中新田字西屋敷は、戦国時代の勇将・高木清秀の屋敷があった場所だと推定されている(『日本城郭大系』)。

高木清秀は、徳川十六神将の一人に数えられる人物。もともと織田信長家臣で、今川義元らと戦い、水野信元に仕えた後、佐久間信盛に属した。佐久間信盛が蟄居なった後、天正十年(1582)徳川家に仕官すると、徳川家康の関東入封により、相模国などに5千石を拝領した。この間、小田原の役や小牧・長久手の合戦など、数々の武功を挙げたという。文禄三年(1594)69歳にしてこの地に居住し、その名を性順に改めたという。

江戸時代初期には、この地の地頭として大島氏も存在し、東の大島屋敷に対して西屋敷と呼ばれたと推察され、その地名が伝わっているものとされる(『日本城郭大系』)。

跡地は住宅地と化して何ら遺構はない。

 

 (【左写真】『日本城郭大系』が跡地とする場所。【右写真】近くには祠があるものの関連は不明。)

 

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