生麦貝助台

神奈川県横浜市鶴見区岸谷四丁目には、かつて「貝助」という地区があって、そこには寺尾城の見張り所と伝承される高台があったという(『寺尾城百話』)。

一説には、里見入道義高の隠棲の地ともされる(『日本城郭大系』)。

里見義高(さとみよしたか)は、戦国時代、後北条氏と対抗し、上総国で里見氏の最盛期を誇った名将・里見義堯(さとみよしたか)の孫。上野国・板鼻で所領一万石を受けたが、慶長十八年(1613)勤務怠慢の咎で除封される。その後、仏門に帰依して鶴見の地に隠居。病苦の民衆を救うため、即身成仏して果てたという。その場所には慈眼堂が建てられ、現在松蔭寺境内に残っている。

岸谷四丁目は広く、跡地を確定することができなかった。地形的には竜泉寺の裏手辺りが高台になっており、見晴らしは良い。

 

(【左写真】竜泉寺の裏手 【右写真】里見義高即身成仏の地・松蔭寺慈眼堂

 

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