中田加賀守屋敷

神奈川県横浜市保土ヶ谷区東川島町には、戦国時代の武将・中田加賀守の屋敷があった。

後北条氏時代には、当地を中田加賀守と山川清九郎が領したが、天正十八年(1590)小田原没落によって中田加賀守は、矢上城へ下る。同年、歿すると、その子・藤左衛門は遺骨を分骨して当地に移り、寛永二年(1625)正観寺を建てて塚を築いたという(『新編武蔵国風土記稿』)。一説に、中田加賀守は小田原城で討ち死にしたともいう。

正観寺の南200mに屋敷跡があって、かつては周囲に堀が廻られていたというが、現在遺構は見られない(『日本城郭大系』)。一説には、正観寺が跡地ともされている。

 (正観寺

 

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