浦野館

阿鳥川と浦野川に挟まれた所で、現在浦里小学校の敷地になっている場所には「内堀」の地名があって、浦野氏の居館地と考えられている。

浦野氏は戦国時代、村上氏に従うが、村上義清没落後は武田信玄に降る。浦野源之丞という人物は十騎の将として活躍し(『甲陽軍艦』)、割ヶ岳城の戦いでは先陣をつとめたと伝わる(『信州の城と古戦場』)。武田氏が滅亡すると織田信長に属して滝川一益の属将となり、その後、徳川家康に仕えたかどうかは不詳という(『長野県町村誌』)。一説には、徳川氏を経て真田氏に従属したともされる(『信州の城と古戦場』)。

浦里小学校の校舎のある部分が館跡と考えられている。阿鳥川から水を引いて堀としたらしく、かつては校舎の南と西の道路に土塁が残っていたという。現在、校舎の部分が少し高く、グランドが幾分低くなっている。このことからも館の主要部は西になったと思われる(『図解 山城探訪』)。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の鳥瞰図)

(館跡地の浦里小学校。後ろに浦野城のある山が見える。)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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