喜多見屋敷

東京都世田谷区喜多見四丁目の慶元寺付近には、江戸氏の末裔・喜多見氏三代の陣屋があった。後北条氏に仕えた喜多見勝忠は、小田原城落城後、徳川家康に従属して旗本となり、その後、二万石の大名にまで取り立てられた(『日本城郭大系』)。しかし、三代・喜多見重政は、元禄二年(1689)二月、勤務怠慢のかどによって改易となり、この時に屋敷も廃された(『徳川実紀』)。

この地は古くから江戸氏の所領と思われ、十五世紀中頃、太田道灌に本貫の地・江戸を追われ「北田見」に移住したといわれる(『新編武蔵国風土記稿』)。

慶元寺には、江戸氏代々の墓があるものの、屋敷跡と思われる辺りは宅地と畑地になって遺構は残っていない(『日本城郭大系』)。

 

(【左写真】慶元寺 【右写真】江戸氏代々の墓

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

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