中山城

標高756m、比高120m。

武石川と小沢根川に挟まれた東西に長い小沢根の山尾根の先端部に位置する。

城主は大井氏の大井大和守で、平時の武石城に対し、戦時の山城として用いられたと考えられる。かつて城址より鉄製の刀柄・鍬などが発掘されたという(大正十一年『小県郡誌』)。
近くの長窪城が大井氏の依田窪南部地区防衛の拠点として築かれたものと考えられ、それと同様にこの城も築かれ、武石川の谷筋や茂沢川などの川筋を通る府中との交通路を抑える城砦として重視されたとみられる(『図解 山城探訪』)。

遺構、実に素晴らしく、22m×12mの主郭は高い土塁で囲まれ、かつこの土塁は河石が積まれ強化されている。基本的には単郭だが、帯郭が巻き、大手は中堀切一条の下に小規模な堀切が連続している。また主郭背後は大きな比高を持たせ、二重の堀切が登坂を困難にしている。主郭の石積みは、近く丸子城と異なる形状で、一部河原の丸石を使用している原始的なものから、最終改修は真田氏以前と考えられる。大井氏・武田氏時代にこの様な厳重な施設が築かれたことは興味深い。

城址へは、東山麓の子檀嶺神社の脇から。心細い山道だが、かつては遊歩道だったらしく、頂上まで迷うことはない。10分強の登山で主郭。

丸子地方の城郭地図

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】主郭。本格的な城砦の広さを有する。【右写真】しっかりした土塁が囲んでいる。)

 

(【左写真】その土塁は石積みで覆われていたようである。【右写真】主郭には帯郭も見られる。)

 

(【左写真】主郭背後の大堀切。【右写真】大堀切の切岸にも石積みが多用されている。)

 

(【左写真】搦め手の二条目の堀切。【右写真】その先には小規模な郭が見られる。搦め手の木戸だろう。)

 

(【左写真】大手道には堀切が連続している。【右写真】はっきりした土橋も見られる。)

 

(【左写真】大手中腹の「木戸」。重要な虎口施設があったろう。【右写真】大手木戸の削平地。)

 

(【左写真】山麓の子檀嶺神社 【右写真】子檀嶺神社のお堂裏に登山道がある。

( 城址遠望 )

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

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