津久井城

標高375m、比高180m。筑井城、根小屋城とも。

神奈川県津久井町の城山全域で、後北条氏相模国と武田氏甲斐国の国境にあり戦乱の場となる。創築は分明ではないが鎌倉時代に津久井爲行がこの地を領した頃ともいう。北条氏の拠点として内藤氏が入城し津久井衆を組織した。麓には根小屋という地名が残り、城主館と家臣団屋敷があったという(『日本城郭大系』)。

大永四年(1524)武田信虎は上杉氏に呼応して津久井城を攻めている(『妙法寺記』)。その後も津久井の地は、甲斐武田氏の攻撃をたびたび受けることになる。

永禄十二年(1569)武田信玄が小田原城を攻め、その帰陣時、三増峠の合戦が行われた際は、北条氏照、氏邦らはこの津久井城側から進出して三増峠に配し、武田軍を挟撃しようとした。その情報を得た信玄は小幡信定ら1200の兵を迂回させ、津久井城の押さえとして城兵の動きを塞ぎ、合戦に勝利した。

その後豊臣秀吉による小田原城合戦では、内藤景豊が津久井衆を率いて籠城したが、本多忠勝ら11000の軍に攻められ落城している。

津久井城は険しい山城で規模はかなりのものであったろう。城址は津久井郡の城山にあるが、国道413号沿い津久井湖の公園に駐車場があって、そこに車を停めると正面にそそり立つ山への登山道がある。山頂までは約30分程度。最も楽に登城するのは南側・根小屋地区のルートで15分ほど。

現地城址案内板

 
(城跡の航空写真)

(現地縄張図)

 

(【右写真】本曲輪土塁上に設置された石碑。【右写真】本曲輪の全望。)

 

(【右写真】本曲輪の土塁。この上には見晴台があったのかも知れない。【右写真】親切な説明板が多くある。)

 

(【右写真】二の曲輪。蔵があったともいう。【右写真】三の曲輪。段状になった小規模なもの。)

 

(【右写真】引き橋があったとされる場所。【右写真】同所・引き橋の堀切。)

 

 (【右写真】太鼓曲輪。尾根上の細長い曲輪。【右写真】太鼓曲輪にも土塁が残る。)

 

(【右写真】大手虎口。堀切状になっており最も重要な防御点。【右写真】飯縄曲輪。神社によって遺構は消滅。)

 

(【右写真】飯縄曲輪西側の烽火台・鐘撞堂(かねつき)跡とされる削平地。【右写真】現地説明板)

 

(【右写真】宝ヶ池。今でも湧き水があり、戦国時は重要な水源だったろう。【右写真】現地説明板)

 

(【右写真】鷹射場への道を隔てる大堀切。【右写真】鷹射場と呼ばれる曲輪。)

 

(【右写真】鷹射場には明らかな腰曲輪が見られる。【右写真】鷹射場から管理人故郷の相模原を眺望。)

 

(【右写真】本曲輪北側に小規模の曲輪群がある。しかし全く整備されていない。【右写真】同所・道無き断崖で立往生。)

威風堂々と津久井城に向かう犬の図

(南側登山道にある石碑。)

(津久井湖〔昭和40年・人工湖〕と城山遠望。湖がなかった戦国期は相当の要害であったろう。)

 

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