箱山城

標高682m、比高130m。

丸子市街地の東の丘陵地から依田川の段丘へ下るところに位置する。近くに立科町・芦田方面に通じる街道が走り、交通の要衝である。

その歴史は不明だが、丸子城の物見砦と考えられ、箱山判官国正という人物が城主という説がある(大正十一年『小県郡誌』、『日本城郭大系』)。この箱山氏は、依田氏の一族か配下と思われるが、詳細は不明(『図解 山城探訪』)。

遺構は、かなり埋もれているが、良く残っている。大きく3の郭に分けられ、中心となるのが二段目の郭で、尾根を小規模の堀切で遮断し、土塁を設けて防御力を高めている。搦め手の三重大堀切はなかなか見応えがあり、郭の一部には石積みの痕跡も見られる。堀の数や規模、土塁の位置からして、この城は背後の東方面、台地上に対しての備えを強化しており、すなわち、芦田城望月城方面への通路を意識して築城されているという(『図解 山城探訪』)。

城址は、依田窪斎場の裏山にある。斎場の裏手の林道(現在廃道)を進み、左手に見える頂上を目指す。登山道は無く、尾根に取り付くか、斜面を直登するしかないようだ。15分ほどで主郭。

丸子地方の城郭地図

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の鳥瞰図)

 

(【左写真】大手道で最初の郭。虎口があったものか。【右写真】ほどなく小規模の堀切が見られる。)

 

(【左写真】次に、尾根地形を利用した細長い郭。【右写真】主要郭の手前の深い堀切。)

 

(【左写真】一の郭手前の段郭。【右写真】一の郭は荒れている。)

 

(【左写真】一の郭の周囲を巻く土塁。【右写真】土塁の一部には石積みの跡も見られる。)

 

(【左写真】一の郭の土塁から二の郭を見下す。【右写真】一の郭と二の郭間の小堀切。)

 

(【左写真】二の郭も荒れている。【右写真】三の郭。周囲は土塁が設けられている。)

 

(【左写真】三の郭の後ろには大規模な堀切(三重)がある。【右写真】三重堀切はそのまま大規模な竪堀となって下る。)

(城址遠望)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

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