五本松城

附:西城

〔五本松城〕標高941m、比高215m。

〔西城〕標高923m、比高197m。

五本松城(長野県佐久市大字志賀字香坂入)は、志賀城内山城の間の急峻な岩山一帯にあった。

一説に、文亀永正年間(1501-1520)内山美作守玄苓が居住したが、大永年間(1521-1528)に笠原氏によって滅ぼされたとされる(『長野県町村誌』)。

かつて五本の松があった事から命名され、本格的な山城の縄張りで、その重要な立地からも戦国時代【天文十六年(1547)志賀城合戦】に使用された可能性は高い。
城址は、岩の断崖を利用し、複数の郭を配し、堀切を入れた典型的な中世山城の様相を残しているようである。腰曲輪の一部には石積みも残っているらしい。

「志賀城の物見」と記載するもの(『長野県町村誌』)、「狼煙台」と記載するもの(『長野県の中世城館跡−分布調査報告書−』)もあるが、「規模や造りからして物見などと言った類でない」(『山城探訪』)。

登路は、内山城の裏側から、内山古城を経て、尾根に着いて登るルートがあるという。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』掲載の概念図

(現在の航空写真)

(城址遠望)

(佐久・志賀周辺の城郭分布図)

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