会田七左衛門屋敷

会田七左衛門屋敷(埼玉県越谷市神明2丁目1番)は、越谷市の市街地の北西部に位置し、元荒川の自然堤防上に屋敷が造られていた(『日本城郭大系』)。

会田七左衛門政重は、天正九年(1581)に生まれ、会田出羽屋敷主・会田出羽資久の養子となり、成人後、この屋敷に分家を創設した。その後、関東郡代・伊奈氏に仕官し、その代官を勤めたとされる(『越谷市史』『日本城郭大系』『現地説明板』)。

かつては、水堀がめぐり、清流が流れ、子孫が住んでいた(『日本城郭大系』)。

『埼玉の中世城館跡』(第1版)は詳細を載せており、「土塁は削平されたために残っていないが、堀は一部残っている。堀の幅は狭くなっているが、かつては2間もあった。会田家が史書に七軒あるが、会田出羽と号するのは一軒である。」と記している。


しかし、現在は宅地化が進み、遺構は残されていないが、その墓石群が残り、往時を偲ばせている。向かいには今でも子孫の方が住まわれている。

(参考サイト:帝國博物学協会

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図名

『埼玉の中世城館跡』(第1版)掲載の図面)

(現地説明板)

 

(会田氏の墓石群。この向かいに子孫の屋敷がある。)

 

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