飯田城
長姫城とも。 飯田城(長野県飯田市追手町)は、天竜川の支流の松川及び谷川に挟まれた河岸段丘の上にあった。中世に構築され、明治維新まで存続したという。 長姫神社、柳田館、日夏館の用地に当たり、東西・南北共に100mの土塀で囲まれて、本丸御殿を中心として七棟の建家群で400余年に及んでいた。 武田信玄の伊那攻略により武田氏の手に落ちて、下伊那における武田氏の中核的な城となったようである。 飯田城と呼ばれるので上田城や小諸城のような観光地になっていると予想していたが、ほとんど何も残っていない。場所を探すことすら難しかった。 |
(城址の航空写真)
(右は本丸址に建つ長姫神社。しかし全体に遺構はほとんどない。中央写真は城址。歴史のある城だけに残念だ。)
2008年再訪
(【左写真】本丸跡の長姫神社。【右写真】本丸・二の丸間の空堀跡。)
(【左写真】二の丸御用水跡(発掘調査で発見されたものを再現したもの)【右写真】赤門〔桜丸の門〕)
(【左写真】水の手御門跡。従来は大手門であったが、小笠原秀政入封後の拡張の際に搦手門となった。)
(【右写真】神社裏の石積土塁跡)
(【左写真】経蔵寺山門。赤門建立にあたり、桜丸にあった門を移築したもの。)
(【右写真】観農亭碑。堀親義が小亭を作り、農耕に勤しむ農民を眺めたという。)
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