山田城

標高64m、比高23m。卵形に近い長方形で約9,100uある。形態からほぼ戦国時代の出城の一つとして考えられており、本郭とそれに付随した土塁、空堀が比較的良好に保存されている。築城年代は不明だが、土地の伝承によれば忍城主・成田氏の被官・賛田攝津守、小高大和守父子が居住し、松山城の支城としての城郭を整備したといわれる。天正十八年、豊臣秀吉の小田原城攻めの際に、前田利家、上杉景勝らによって陥落したとも云う。

城址へは「武蔵丘陵森林公園」南口から入場してすぐ右に見える小高い山の頂上。途中、城址の案内棒が立っているが、入場前に公園地図で位置を確認しておくと良い。

  

(【左写真】空堀址 【右写真】土塁址)

(城址の看板。単郭でその中を土塁でいくつかに仕切っている。)

 

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