神大寺城

神奈川県横浜市神奈川区神大寺(かんだいじ)には、片倉・神大寺出城があったと伝わる(『新編武蔵国風土記稿』)。

また、天文六年(1537)上杉朝定が北条氏綱に対して、この地に、要害を取り立てて、出城を築いたとされる(『小田原記』)。

しかし、これらは、深大寺城(じんだいじ)との読みを混同した誤りだとされる(『日本城郭大系』)。そのとおり、『小田原記』の内容は完全に間違っている。

現在、寺院としての「神大寺」は消滅して、かつての位置も不明だが、戦国時代、小机城主・笠原越前守信為が建立した一寺に、地名は由来している。また、太田道灌が、文明十年(1478小机城攻撃の際、付近に在陣したという記録も見られ、「中丸」などという地名も残っていることから、城塞があったとしても不思議ではない。

一応、「中丸小学校」を比定地としておく。

 (微高地となっている「中丸小学校」)

 

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