稲倉城

標高1000m、比高230m。

室町時代初めから戦国時代末期の天正十一年(1583)まで、浅間郷の領主であった赤沢氏の本城である。城は、稲倉地区の北方に位置する尾根約500mに亘って設けられ、急峻な岩壁と空堀によって堅固を誇っている(『松本市教育委員会・現地説明板』)

主郭は、標高約1000mで「白蛇松」といわれる老松があり、南西に五段をつけて下り大堀に達している。副郭は西斜面に帯曲輪が発達し、更に南には物見台がある。他にも曲輪があり、これらの遺構はほとんど往時のままに残っている(『松本市教育委員会・現地説明板』)。

城址は、奥の主郭から、二の郭、三の郭(物見)と良く遺構が残っており、それぞれ空堀で区切られている。西を伊深城、東を三才山城、南を洞山城がそれぞれ近接して守っており、地域の本城であったことが窺われる。一番楽な訪問は、国道254号から稲倉地区に入り、稲倉峠への林道を1q弱登ると途中案内板の設置された登山道がある。そこから15分ほどで城域に辿り着くことができる。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

 

(【左写真】主郭の説明板等。【右写真】主郭は数段の高低差をもって構成されている。

 

(【左写真】主郭奥の最高部。物見台でもあったか?【右写真】その先は大堀切で、非常に堅固。

 

(【左写真】主郭から二の郭を望む。【右写真】主郭と二の郭との間には大空堀がある。

 

(【左写真】二の郭 【右写真】二の郭は、複数の腰曲輪で構成されている。

 

(【左写真】三の郭。面積は無く物見台だったものか。【右写真】三の郭の堀切。

 

(【左写真】三の郭の堀切より三の郭を見上げる。【右写真】現地案内図

(城址遠望)

 

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