小泉上の城

標高912.5m、比高410m。

千曲川の左岸、上田原の西にある城山(933m)の南へ200mほど張り出した山頂に位置する。大手道は山麓の高仙寺から雷城を経て尾根筋を登ったと思われる。

小泉氏の持ち城といい、上田原の合戦の頃、小泉重成とその長男・宗昌は村上義清に属し、天正二十二年(1553)村上氏没落後は武田信玄に降った。この時、小泉重成は自ら小泉城を破却し、室賀城を誘って降伏したという(『信州の城と古戦場』)。天正七年(1579)には宗昌の子・昌家がここに拠ったという伝承もある(大正十一年『小県郡史』)。

小泉上の城の北200mには須々貴城があって、その位置取りからして、ここは詰の城とされる(『図解 山城探訪』)。

主郭は、上下二段になっていて、9m×9mの下段と、櫓台のような5m×5mに分かれる。前面には3m×1mの平場があり、石積みが見られ、その下にも平地と堀が確認される。主郭の後背は六条の堀で守られ、山全体が急峻である。比高400mの高所にある小さな砦で、曲輪が小さい割に連続した堀を重ねる造りは、虚空蔵山の物見城やケムリ城に似ているという(『図解 山城探訪』)。

城址は、極めて比高の高い場所にあるが、郭や堀切などしっかりした築城をなしている。自然尾根を利用した中世的な山城だが、石積みを用いているのは村上系の小泉氏と室賀氏の特徴である。

訪問は、雷城からの尾根道があるが非常に過酷。楽に行くならば、上室賀集落の「押切」バス停付近を北上し、専念寺脇の城山への林道を利用した方がいい。林道を20分も走れば終点に着き、そこから15分ほどの登山で主郭。ただ、この林道は荒れ道で、四駆でなければ厳しいかも知れない。

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の縄張図)

(宮坂武男著『図解 山城探訪』掲載の鳥瞰図)

 

(【左写真】主郭。二段になり、上段には小祠がある。【右写真】主郭下には二の郭がある。)

 

(【左写真】主郭は石積みが取り巻いていたようである。【右写真】主郭背後の虎口。堀切との組み合わせ。)

 

(【左写真】主郭背後の堀切。【右写真】堀切はさらに複数設けられている。)

 

(【左写真】だいぶ埋もれているが堀切は良く観察できる。【右写真】鉄塔の場所もかつて堀切があったらしい。)

(城址遠望)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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