香坂氏館

長野県佐久市大字香坂の周囲は、中世の信州の豪族・香坂氏の発祥の地とされる。

香坂氏は、文応年間(1260-1261)水内郡の牧之島(信濃新町)に住み、そこで私牧を経営して、牧城(『信玄を捜す旅』参照)を構えた(『山城探訪』)。

香坂小太郎入道心覚は、建武三年(1336)正月、公家方に応じて挙兵したが、小笠原・村上・高梨の軍に敗れ、下伊那の大河原に逃れたという(『山城探訪』)。

南北朝時代になると香坂高宗が宗良親王を奉じて(一説に閼伽流山城において)、南朝勢力の中心になっていく。一方、佐久では、戦国時代武田氏に属し、その滅亡後、上杉景勝に従い(香坂能登守)、その孫・香坂与三郎昌能は、上杉氏とともに会津に去っている(『山城探訪』)。

武田信玄の側近として有名な高坂弾正昌信は、この香坂家を継いだ者とされている。上杉謙信の書状では、弾正守る海津城を「香坂城」といっている。一説には、信玄は、香坂某の妹と春日弾正を婚姻させ、その名族を継承せしめたと伝わる。

伊那の大草城は、南北朝時代に大河原の地において宗良親王を守護したと云われている河原城(『信玄を捜す旅』参照)香坂高宗の拠点であり、香坂氏代々の居城であったと伝えられている(『現地碑文』)。

香坂氏館の場所は分かっていないが、現在の香坂集落にあったのは間違いないだろう(『定本 佐久の城』)。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(香坂集落)

 戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送