越谷御殿

越ヶ谷御殿、御守殿蹟とも。

越谷御殿(埼玉県越谷市御殿町)は、元荒川が蛇行し、舌状の突端になった地にあり、久伊豆神社の対岸に位置する。

この場所には、もと会田出羽家(鎌倉時代からの豪族)の館跡があり、慶長九年(1604)、そこに徳川家康が鷹狩り用の御殿を造営したという(『新編武蔵国風土記稿』『越谷市史』『日本城郭大系』『現地説明板』)。
この際、
埼玉郡増林村にあった御離館から移ったのだという(『東照宮御実紀』)。

浜野藤左衛門某に勤番を命じ(『東照宮御実紀』)、家康、秀忠がたびたび訪問したという(『日本城郭大系』)。

明暦三年(1657江戸城が失火した際には、この御殿が江戸城二の丸に移築され、跡地は農地になったと伝わる(『東照宮御実紀』『日本城郭大系』)。

現在、遺構は何ら残されていない。ただ「御殿町」という地名だけがそのよすがを伝える。なお、元荒川沿いに石碑と説明板が建っている。

(参考サイト:武士の館 帝國博物学協会

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図名と御殿町の航空写真)

 

(【左写真】石碑 【右写真】すぐ脇を流れる元荒川。)

(対岸から見た御殿町。中央に石碑と説明板が建つ。)

 

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