代山城
代山城(だいやま★埼玉県さいたま市緑区大字代山)は、浦和学院高校周辺にあった城郭。 『新編武蔵国風土記稿』には「岩槻太田氏の臣・小久保縫殿助が城主だったが、天正十八年(1590)小田原の役で、岩槻城とともに滅んだ」と記されている。また『武蔵国郡村誌』では城主を太田氏家臣・山田大隅としている。 周囲には「蔵屋敷」「焼場」(処刑場ヵ)の地名が残り、隣村の中野田の字「冠木」という場所には大手門があったという(『新編武蔵国風土記稿』)。 城の表鬼門に山王社、裏鬼門に厳島神社(現存)を勧請したという。 舌状台地に築かれた城郭の様だが、今では遺構ははっきりしないらしい。中心部は雑木林、耕作地になっておりよく分からない。『日本城郭大系』では「谷に面する三方は、崖面の保存が良い。」と記し、遺構は無いとしている。 『新編武蔵国風土記稿』は、かなり大規模な城郭だったことを窺わせるが、そのほとんどが隠滅してしまったのであろうか。 |
(【左写真】城跡遠望。一部雑木林になっているが遺構は不明。【右写真】名残りを窺わせる崖面。)
(裏鬼門に勧請されたという厳島神社。)
2014年9月15日訪問
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