河村城

 本格的な城郭としての築城年代は不明だが、一説に南北朝時代ともいわれている。

酒匂川中流城左岸の通称城山と呼ばれる独立丘陵上に位置する。北は旧皆瀬川、南は酒匂川の自然の要害に守られた堅城であった。

河村城は平安時代から土豪・河村氏の居城として知られ、南北朝時代には新田義興らとともに籠城したという。その後、畠山国清、上杉憲実、大森氏を経て、戦国時代には後北条氏の持城となり、小田原城の支城として足柄浜居場・新庄城と並んで、重きをなした。

特に元亀年間(157073年)に、甲斐武田氏と後北条氏が深沢城を巡る攻防を繰り広げていた際に、河村城が大改修されている。甲斐武田氏の直接の攻撃あったのかどうかは分かっていない。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの時も小田原城の支城として城兵の配備があり、後北条氏の滅亡とともに廃城になったと思われるが、このあたりの確かな史料は見当たらない。 

   

(河村城址の石碑と本郭址。かなり規模の大きな城郭である。)

  

(本郭から小郭を見下ろす。畝堀がはっきりと確認できる。右写真がその畝堀を横から撮ったもの。)

  

(小郭の奥には茶臼郭と呼ばれるものがある。その間には同様に大規模な畝堀が巡っている。

水の湧く畝があるようで、落城時に姫がこの水に飛び込んで果てたという「お姫井戸」とも呼ばれるが、これは伝説の域を出ないだろう。

右写真は茶臼郭より小郭を望み、奥に一段高いのが本郭。)

 

(本郭からさらに山の手に進むと蔵郭、近藤郭、大庭郭と呼ばれる広い平地がある。

右写真は大庭郭から本郭方向を望んだもの。それぞれの郭は同様に堀で仕切られており、発掘が進めば畝状の遺構が検出するかも知れない。右写真は全景でこの正面の山の頂上部分が城址。

バイクで直接行ったのでかなり迷ってしまったが、山北駅前に城址への案内表示があるようだ。城址公園として整備されていて駐車場・トイレ・登山道も完備している。)

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