御所山城

1984年(昭和59年)に初めて発見された城。であるから『日本城郭大系』にも記載はない。

城址は大観山から石垣山(一夜城址)に伸びる尾根の中間点、標高866メートルの御所山の頂上に位置する。箱根ターンパイクが周辺を走っており、このターンパイクは「太閤道」に沿って建設された。太閤道は豊臣秀吉が小田原合戦の時に18万の兵もって押し寄せた道で、ターンパークの8,8キロ地点に城山がある。この古道は古くから使用され、戦国時代には北条氏規の守る韮山城小田原城を結ぶ最短路として重要とされた。この周辺は「鍋割」という地名があって、秀吉が「明日は小田原城を攻め落とすのであるから、敵の鍋で飯を炊けばいい」と言って鍋を叩き割って勝利を誓ったという伝説がある。

ターンパイクの桜山駐車場から道を横断した山道から少し登ると太閤道に辿り着くことができ、その山中から更に南側にそびえる山に分岐を登っていくと頂上が城址である。城山の頂上部は削平されて土塁も確認できる。「小田原城郭研究会」によれば、虎口が曲輪に対して大きく虎口の城として豊臣秀吉の小田原合戦の時に利用したとされる。しかし現在(夏場)は藪化で明確に確認できなかった。他には太閤道から城址への登山道には石積み址と思われる石が多数あり、周辺山中には同様の石が転がっていないことから、戦国時代の遺構であろうと思われる。

  

  (【左写真】城址はターンパイクのすぐ脇にある 【右写真】桜山駐車場から山道を見る。中央の暗い部分に入る。)

(しばらく行くと太閤道へ着く。ほどなく城址への登山道が分岐している。よほど注意しないと見落とす。

ここが分岐点で左手に登っていくと城址だが、誤ってそのまま右に行くと大変な事に)

 

(【左写真】は分岐を左に行った正しい登山道。いたるところに石が転がり、石積み址もある。

(【右写真】分岐を右に行くと城山が見えるものの登山道なし。止むを得ず、とんでもない藪コギをして城址へ。)

 

  (【左写真】【右写真】登山道にある石積み。明らかに人の手によるもので、戦国期の遺構か。)

 

  (【左写真】堀切のような地形もあるが遺構ではないだろう 【右写真】城址全景)

 

  (主郭。藪がヒドいものの辛うじて土塁は確認できる。)

 

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