屋代氏館

屋代氏は葛尾城主・村上氏の一族とされ、代々村上氏の上臣の地位を占めていたようである。建武元年(1334)の本貫地は一重山の北側一帯で、平城を構えていたと推察され、応永七年(1400)の大塔合戦の際には村上満信はこの城から500騎を率いて出陣した(『大塔物語』)。

その後、一重山の南に進出して屋代城を築き、村上氏に従属していたが、戦国時代・天文二二年(1553)武田晴信が進攻してくると当時の当主であった屋代政国・秀正父子は塩崎城主・塩崎氏とともにその軍門に降り、以後30年近く信濃先鋒として武田氏に従えている。天正十年(1582)武田氏が滅亡すると上杉景勝の軍門に下り、海津城主には村上景国(義清の子)が命じられ、その配下として屋代秀正は二の丸に置かれた。まもなく徳川家康の誘いに応じて持ち城であった荒砥城に入り上杉氏に謀反を起こしたが、ここを攻められ逃亡。以後徳川氏の元に降って忠誠に励んだ。安房国北条で一万石を与えられ、幕末まで家は存続したという(『信州の山城』)。

その居館は屋代城の山麓・満照寺に比定されている。かつては寺から城への小道が通じていたという。

満照寺で遺構はない。背後の山に屋代城がある。

 

 

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