田沢城

標高720m、比高160m。

鎌倉時代にこの地に来住した海野氏の一族・光氏によって戦国時代に築かれたと思われる。海野氏の一族は、そのころ光城会田城刈谷原城上の山城塔ノ原城にそれぞれ拠点を築き、互いにノロシ等を使って連絡しあった。

田沢城は光城から派生する尾根に築かれ、その出城的な存在だったものか。天文二二年(1553)武田信玄の刈谷原城攻めで落城し、その後小笠原貞慶によって修復されたと考えられる。

県道57号線の神明宮の手前に登山道があり、20分ほどを要するという。遺構の確認は次機に期したい。

(城址遠望。後ろには光城がそびえる。)

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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